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3.感想 |
| 理論的な整理とは別に感想を加える。 |
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@盆踊り唄の将来性
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私個人的には、好きな音楽は西洋音楽であって
和製ポップス>ロック>クラシック>ジャズ>ハワイアン>以下洋楽ロック、純邦楽、民族音楽
という順番だった。これが、盆踊りにいくようになってから純邦楽の位置が高くはなってきている。
感覚的に純邦楽というのは、他の民族音楽に感じるようなエキゾチックさは全く感じない。
何か泥臭く、他の音楽に感じない嫌悪感のようなものを感じていた。
これが、何に起因するのかよくわからないが今後考えていきたいと思う。
いずれにしても、邦楽に他の音楽にない何かを感じていたのだと思う。
その中でも、雅楽やわらべ唄、盆踊り唄は比較的親しみやすいのだが、義太夫、長唄などは
今でもどうも馴染めないところが残っている。
他の民族の音楽で似たような臭みを感じるのは韓国のパンソリくらいである。
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おそらく、この感覚はある年代人以下の人に共通なのではないだろうか。
最近和楽器が静かなブームのようだ。和太鼓、津軽三味線・・・。
また、よさこいソーランにみられるようなダンスと純邦楽のコラボレーションもみられる。
これらは、現代人が好む強弱が明確でグルーブ感のあるビートを使っているために受け入れられ
ているのではないかと思っている。
沖縄音楽なども裏拍のビート感、本土音楽にないエキゾチックな雰囲気が受け入れられる要素と思う。
盆踊り唄は、非常に興味深い音楽要素なのだが、1つは伝統を守って後代に残していくことを考える
とともに、次世代の音楽にいかに生かすかということも考えると面白いのではないかと思う。
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例えば、拍にとらわれない自由で伸び縮みする点、ピッチやキーの自由度、音符でなく聞き覚えで
すすめていく掛け合いの手法、音の高低でリズムをつける日本語とのマッチングなどなど。
現代ポピュラー音楽も元々は民族音楽からのスタートである。アフロアメリカンによる、ブルース
ゴスペル、ジャズ、ソウル、米国発のカントリー、ロック、カリブ海からのレゲエ、ラテンアメリカの
サンバ、ジルバ、ボサノバ、タンゴ、ロシア民謡、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネ、
スペインのフラメンコ、スイスのヨーデル、南太平洋のハワイアン・・・。
こう考えるとアジア発の音楽というものの可能性はまだ未開拓なのでないかと思われる。
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A絶対音感と盆踊り、そして音楽の楽しみ
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絶対音感信仰のようなものが特にクラシック音楽畑にあるように思う。
絶対音感は非常に有用な能力であるが、決して音楽に必要不可欠な能力でないと考える。
絶対音感の特徴はおおむね以下の3点である。
・響いている音を何の基準もなくC〜Bのどの音か判断できる。
・何の基準もなく楽譜をみて正確なピッチで歌うことができる
(正確なピッチというのは、平均律が基準になる。)
・キーが違うと全く違う音楽として認識することができる
そして音楽、特に歌の要素の中で効果を発揮するのは以下のところである。
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| 音程 |
読譜力 |
声色 |
声量 |
リズム |
表現力 |
音楽理解 |
| ◎ |
◎ |
× |
× |
× |
× |
○ |
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盆踊りの特徴は
音程=かけあいによってとる、音律は平均律でない、キーとピッチは柔軟で巾がある
読譜力=譜面は存在せず、聞き覚えで伝承
ということになる。
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このような、音楽であるため絶対音感の最大の長所はあまり生かされない
もちろん、全く使えないとは言わないが相対的に声の質とかリズムとか別の要素のウェイトが高くなるはずである。
私は音楽ができない・・という言葉をよく聞くことがあるが、これは「楽譜がよめない」「音を言い当て
られない」「理屈をしらない」「指定された音程で歌えない」などの要素によるところが大きいのではないか・
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私自身も譜面は読めてもあまり得意ではないし、絶対音感があるわけでない。
ただ、盆踊りについては、別にそんなことはおかまいなしに自分で演ずることができる。
音楽とはそもそも巾の広いものであると思う。勉強して、たくさんの約束事をこなすのも素晴らしいけれど
聞き覚えと感覚だけで正立する音楽で楽しむのもよいと思う。
それから音楽的に高いことと文化的に価値が高いことは必ずしも一致しないと考えている。
音楽関係者だと、理論的に高度なものを使っている音楽に高い価値を見出す傾向がある。
それも1つの重要な側面であるが、理屈抜きに親しまれる音楽にも価値があると思う。
時を経てもすたれないということは、普遍性という意味でその音楽の文化的価値を示すものと考える。
そういう意味では、譜面もなしに数百年の歴史を継いできた盆踊り唄の価値は高いものだと思う。
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