盆踊りの踊り場に、古風な精霊棚や踊り台を設ける点も、供養踊りとしての「実」をよく示しているといえるでしょう。
踊りの構成では、盂蘭盆の踊りの由来を説く宗教色の強い「ばんば踊り」を必ず最初に踊る、という儀礼的構造が広く見られます。ばんば踊りを伝承しない(おそらく三つ拍子と交代した)地域では、「三つ拍子」を必ず最初に踊るという地域が多く、現在ではむしろこちらのケースが多いようです。 |

盆踊りの庭に設けられた精霊棚
(山香町立石・050814) |
|
◆歴史的特徴
大分県の盆踊りの歴史的な特徴としては、まず第一に、戦国期の地方大名による風流踊り招聘例としてたいへん有名な大友義鎮(宗麟)による風流踊り開催の記録を有することが特筆されます。
|
|
「天正二年七月二十七日御城にて踊りあり
壱番 佐伯紀伊介惟教 小原木
道行 小原木、小原木召せや黒木召せめせ
小原木しず原せれうの里
(以下歌詞略)
踊子 女の仕立にて肌には朽葉の練を着てぬきがけにして、
白きくくりほらし其の端を長く下ぐる。
前は金襴なり、小原木を金にして松の作り花の枝に真紅の
縄にて結びつけ持て踊る。
中踊も、金の小原木を裁き或は荷ひて踊る。傘鉾あり。
弐番 田原近江守新堅入道紹忍 芭蕉
道行 あり
(中略)
一、宗麟公 踊りの御返しに「吉野静」の御能一番あり、太夫保昌
権太夫なり。
一、義統公 御返しは三輪の踊なり。
踊り子金幣を持ちて、中踊同前三間斗の金幣真中に立つなり」
(「大友興廃記」巻十一)
|
|
|
中央に「作り山」を設け、着飾った踊り子が踊る古風な風流です。開催は、やはり盆月ですね。
大分県南地方には、中世後期−近世初頭に流入したと見られる風流踊りの分布も見られますが、踊りの芸態の重要な部分は上記の記録と共通するという研究もあり(「豊後風流の研究」)、注目されます。
この他、史料的な問題はあるようですが、「大友記」「西国盛衰記」などの書物でも永禄年間の話として宗麟と踊りのエピソードを載せています。この時の踊りの名称として、現在も踊られる「三つ拍子」の名前も出ており、県下ではよく知られた話となっています。 |
|
第二に、近世江戸期を通じてきわめて豊かな盆踊りの成長が見られたことが挙げられます。
特に西部の日田や南部の佐伯地方には、江戸・上方からお座敷歌系の踊り・ウタが大量に流入・蓄積した経緯があり、独特の踊り分布が見られます。本家の江戸・京・大阪でもすでに途絶えた当時の流行曲が残っている可能性が高いといえます。
第三に、近代以降も新作踊りがきわめて盛んに作られています。大正時代には、「別府音頭」のようにいまも県民に広く親しまれる新民謡も生まれています。
こうしたことから、大分県は中世後期より現代に至るまで、通時的に盆踊りが盛んであった県ということができるでしょう。 |
|
|