海念寺と念仏信仰の歴史
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踊り念仏文化史の視点から第一に注目されるのは、猟師町の檀家寺である「海念寺」が「浄土真宗高田派」であることです。
「かんこ踊り」の項でも見たように、同派はもと関東の真宗の有力組織で、「大念仏」と呼ばれる踊り念仏を色濃く伝えてきたグループとして有名です。この高田派の海念寺がかんこ踊り=盆踊りの会場であることからも、猟師かんこ踊りには、先行する踊り念仏文化の色合が濃厚です。
ところで、伊勢地方の踊り念仏文化のにない手は、真宗高田派だけではありません。伊勢には、同じ踊念仏を奉ずる中世の代表的教団である時衆の道場も多数存在しました。
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海念寺の門前 |
◆「往古過去帳」に登場する伊勢国の時衆道場名として、
| 矢野(やの) |
現・玉城町矢野 |
| 安濃津(あののつ) |
現・津市 |
| 七クリ(ななくり) |
現・久居市榊原温泉 |
| 桑名(くわな) |
現・桑名市 |
などの名前が挙がっています。
当時の商業都市のほか、温泉が挙がっているのも、熊野湯の峯温泉と時衆の深いつながりなどが想起されて興味深いところです。
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◆とりわけ興味深いのは、戦国時代の末期、遊行31代同念上人は伊勢大湊より参宮し、その後松ヶ島で時宗真盛門派の寺に泊まったという記録です。この記事から、猟師町の隣町であり、似たタイプのかんこ踊りを伝承する松崎町に、当時時衆の有力拠点があったことを確認することができます。
◆松ヶ崎には「踊橋」という名の橋があり、松阪に移った樹教寺には室町末のものといわれる「踊橋地蔵」が祀られています。
◆また、おなじ松ヶ崎の踊り歌の中には、「石津の西方寺」「西黒部の西蓮寺」「立田の空也塔」などの念仏信仰遺跡が詠み込まれています。
これらの諸点から、猟師町および隣町松ヶ崎を含む松阪市沿海地域は、中世念仏信仰・踊り念仏文化が濃厚な土地であり、このことがかんこ踊り導入のベースになったと推測することができます。 |
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「網かけ踊」の歌詞から
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伊勢地方のかんこ踊りの中でも、松崎浦町、猟師町の両村のかんこ踊りのみには、海辺の漁村らしい「網かけ」の歌が伝承されています。さらに網の名前まで歌詞に読み込まれて残るのは、松崎浦町だけです。
| 網の名称 |
| 夏曳網 |
| ずうづこう(数珠網) |
| 浮け曳き |
| うなわ |
| 大網 |
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猟師村の古文書では、元禄11年(1698年)に「数珠網」「浮曳網」が使用されたという記録が見られます。両地域の「網かけ」歌の作詞時期、およびかんこ踊りの歴史についての、一つの手がかりとなる材料と考えられます。
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(参考資料)
「三重県のカンコ踊資料集」三渡俊一郎
「松阪市史 史料篇民俗」
「時衆教団の地方展開」金井清光
「伊勢・伊賀の羯鼓踊」三重県民俗資料記録第三輯 |
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