「盆踊りとはなにか」を問い、
日本人が忘れかけた盆踊りの魅力に光を当てた物語。
盆踊りファン・お祭りファンにとっては、たまらないほどディープな映画です。
しかし、それだけではありません。
映画の背景にあるのは「震災」「移民」「コミュニティ」といったあまりにも大きな問題。
高みから論評するのではない。打ちのめされて沈黙するのでもない。
正面からカメラで向き合い、映像としてしぶとくそれを語りきる―
だからこそ、
いまそうした問題に直面している日本や世界の人々に
ひろく共感されうる作品になっています。
「盆唄」は、いまの日本にとっても世界にとっても“大切な映画”なのだと感じます。
本サイトでは作品紹介はもちろん、
私たちが見届けた魅力や価値、見どころや関連情報など、
作品をさらに知り、味わっていただくための情報をご紹介したいと思います。
ドキュメンタリー映画に新境地を拓いた「盆唄」。
ぜひこの機会にご鑑賞ください。
~ 作品紹介 ~
ふるさとを離れても、忘れることのない唄。
希望のかなたへ盆唄は響き続ける――。
太鼓、踊り、そして唄!
中江裕司監督(『ナビィの恋』)が3 年の歳月をかけて作りあげた、
胸を打つ歓喜のドキュメンタリー!
2015年。東日本大震災から4年経過した後も、福島県双葉町の人々は散り散りに避難先での生活を送り、先祖代々守り続けていた伝統「盆唄」存続の危機にひそかに胸を痛めていた。
そんな中、10 0 年以上前に福島からハワイに移住した人々が伝えた盆踊りがフクシマオンドとなって、今も日系人に愛され熱狂的に踊られていることを知る。
町一番の唄い手、太鼓の名手ら双葉町のメンバーは、ハワイ・マウイ島へと向かう。
自分たちの伝統を絶やすことなく後世に伝えられるのではという、新たな希望と共に奮闘が始まった――。
映画は福島、ハワイ、そして富山へと舞台を移し、やがて故郷と共にあった盆唄が、故郷を離れて生きる人々のルーツを明らかにしていく。
盆踊りとは、移民とは。そして唄とは何かを見つめ、暗闇の向こうにともるやぐらの灯りが、未来を照らす200 年を超える物語。
第19回 東京フィルメックス 特別招待作品
監督:中江裕司(『ナビィの恋』『ホテル・ハイビスカス』)
撮影監督:平林聡一郎
編集:宮島竜治、菊池智美
エグゼクティブプロデューサー:岡部憲治
プロデューサー:堀内史子
アソシエイトプロデューサー:岩根愛
アニメーション:池亜佐美
音楽:田中拓人
音楽プロデューサー:佐々木次彦
製作:テレコムスタッフ
配給:ビターズ・エンド
出演:福島県双葉町の皆さん、マウイ太鼓ほか
声の出演(アニメ―ション):余貴美子、柄本明、村上淳、和田聰宏、桜庭梨那、小柴亮太
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人 日本芸術文化振興会
日本/2018年/134分/ビスタ
■メディアでも注目されてます!
※本サイトからも、以下の誌面に映画「盆唄」紹介記事を寄稿しました。
盆踊り漫遊記 連載41 「人々の移動とともに世界をめぐる」
「月刊住職」2019年2月号(2019.02.02)
■映画の中の「4つの盆踊り」
本作品の中には、印象的な4つの盆踊りが登場します。
そのそれぞれが、物語の中の1章を構成する、大切なモチーフとなっているのです。
1 記憶の中の盆踊り
映画の舞台・福島県双葉町自慢の「双葉盆唄」。かつて踊り櫓が2つも立つほど盛りあがった盆踊りでした。
いま原発に近く、人影の消えたかつての盆踊り会場にたたずむ主人公たちの姿は印象的です。そこに観客は、記憶の中の盆踊り”を見るのです。
2 海をわたった盆踊り
主人公たちが訪れたハワイ・マウイ島。
会場のパウア満徳寺で踊られていたのは、双葉とおなじアレサ式盆踊り「フクシマオンド」でした。
100年前に先祖たちが福島からハワイに伝えた“海を渡った盆踊り”です。
3 ルーツとしての盆踊り
ふるさと双葉の人々も双葉音頭も、さらに昔にさかのぼれば、他の土地からやってきたのかもしれない。
古文書を手掛かりに訪れた北陸には、先祖を同じくする人々がいまも暮らし、そしてやはり古い伝統の盆踊りがありました。いわば“ルーツとしての盆踊り”です。
4 復活の盆踊り
いま、ふるさとを離れて暮らす双葉町の人々。
周囲への配慮やさまざまな制約があるのが、仮設住宅の暮らしです。
「踊れない、唄えない、太鼓が叩けないのが寂しい。」映画の主人公・横山さんの独白は胸を打つものでした。
震災から8年。
映画の撮影に参加し、ハワイ体験を経て、大きなビジョンを得た横山さんたち主人公は、仮設住宅での双葉盆唄復活に向けて町の仲間に呼びかけます。
“復活の盆踊り”です。
■映画「盆唄」の背景 ―日系移民のボンダンスについて
本作品の重要なテーマのひとつが、”海を渡った盆踊り”です。
ハワイにおける日系移民のボンダンスとはどのようなものか、ご紹介します。
【ハワイのボンダンスの様子】
盆踊り文化の大きなテーマに、「日系移民と盆踊り」があります。
明治から主に戦前にかけて、わが国各地から多数の移民がハワイ・北米・南米等の「新世界」に渡ったことをご存じでしょうか?
現地に形成された日系コミュニティには、故郷の盆踊りが持ち込まれ、定着し、根付きました。
たとえばハワイでは、現在ボンダンスの開催箇所は実に約100ヶ所。いまでは、ボンダンスの踊りの輪はマルチエスニックで、現地ハワイでは大変な人気行事なのです。
その踊りはまさに日本の近代盆踊り音頭のショーケース。日本で各世代に流行した盆踊りの音頭が、まるで地層のように次々と積み重なっていき、しかもいまなお踊られ続けているのです。
【マルチエスニックな踊りの輪】
【フクシマオンドは一番人気】
中でも一番人気の踊りが、100年前に福島移民が伝えたもっとも古い「福島音頭」。「アレサ式盆踊り」とよばれるタイプの伝承系盆踊りです。
映画の中に登場する「双葉盆唄」もまた、同じアレサ式の盆踊り。“海を渡った”ハワイのボンダンスは、日本の伝承系盆踊りとたしかにつながっているのです。
写真:パールシティ本願寺ボンダンス(1、2枚目)、ハワイ真言ミッションボンダンス(3枚目〉
撮影:2008.08.08 ハワイ・オアフ島
※ハワイのボンダンスの更に詳しい内容は以下のページで。
特設サイト【海を渡った盆踊り】
■監督紹介 中江裕司さん
監督の中江裕司さんと始めてお会いしたのは、2016年7月。
「盆唄」撮影が始まってしばらくしてからでした。
【左:中江裕司監督 右:写真家の岩根さん】
「あの名作「ナビィの恋」の監督が、盆踊りテーマのドキュメンタリーを撮る!」
監督から「盆唄」の構想をお聞きして、期待に胸が高鳴ったのを覚えています。
それからさらに2年をかけて完成した「盆唄」は、期待をはるかに上回る名作でした。
気さくなお人柄ですが、地域に生きる人々と文化への深い共感をたたえた、やさしいまなざしの監督です。
ご出身は京都で、現在の活動拠点は沖縄。
そういえば沖縄もまた移民と盆踊りと縁の深い土地ですね。
中江監督ご自身もまた、「境界を越えていく人」なのかもしれません。
中江裕司監督プロフィール
1960年11月16日生まれ。 京都市に生まれ、その後沖縄に移住。
92年、オムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』の1編を監督。同作品はベルリン映画祭フォーラム部門に選ばれた。
99年には単独の長編映画『ナビィの恋』を監督。 同作品もベルリン映画祭フォーラム部門に選ばれ、興行面でも成功を収めた。
その後も劇映画とドキュメンタリーを交互に発表し、現在までに9本の映画を監督。『ホテル・ハイビスカス』(02)はベルリン 映画祭キンダー部門に選ばれた。
その他の作品に『白百合クラブ東京へ行く』(03)、『恋しくて』(07)、『真夏の夜の夢』(09)など。
05年には、那覇市内の閉館になった映画館を「桜坂劇場」として 復活させ、映画上映のみならず、ワークショップやライブ、市民講座も企画。沖縄文化の発信地となっている。フィクション・ドキュメンタリー問わず、「土地に根差す人の営み」「音楽」などをテーマにした作品を描いている。