伏拝盆踊りの歴史

日本を代表する大霊場、熊野本宮が鎮座する和歌山県本宮町。その北部の山の中腹、熊野古道「中辺路」(なかへじ)の最終到達地点に伏拝の集落があります。熊野古道に点在する信仰拠点「王子」の一つ「伏拝王子」があった場所です。
長大な中辺路もようやく終わりに近づき、熊野参りの人たちは、ここからはじめて本宮を拝むことができました。そのありがたい光景に、伏して本宮を遙拝(ようはい)したことから、「伏拝」の名前が出たとされています。
現在は戸数約百戸、人口300人に満たない小さな集落ですが、盆・正月には帰省の人たちで賑わいます。
伏拝盆踊りの起源は江戸時代からと伝えられていますが、特に歴史を示す文献資料などは見つかっていません。
地元の民俗研究家小山豊氏の著書「紀州の祭りと民俗」によると、伏拝に伝わる「五尺いよこの」の踊り歌の歌詞などから推測すると、少なくとも江戸中期頃には始まっていたと思われるとのことです。
また、「伊勢音頭」が2種類残されており、これはお伊勢参りの途次に里人が習得したものと伝えられています。ここからも、江戸時代に伏拝の盆踊りが盛んになっていった様子がうかがわれます。

風雅な伏拝の伊勢音頭

同書によると、明治以降の伏拝盆踊りは、周辺の土河屋・大居などとも踊りの交流があり、「特に明治30年以降都市部や海岸地方で急速に衰退した時期に於いて反って盛んとなった」としています。

踊りの場所は公民館の庭ですが、地元のタクシーの運転手の話では、しばらく前の盛んな時には今の前庭ではなく広い奥庭のほうに櫓を建てて盛大に踊ったということでした。
現在の盆踊りは集落の人口の減少や高齢化などにともなって、だいぶ小規模なものになっているようですが、かつて江戸期から戦前にかけては毎年にぎやかな盆踊りが繰り広げられていたことでしょう。