戦国大名も、盆踊り、当時は、盆の風流踊りを楽しんでいます。信長公記には、織田信長が仮装して踊ったという記録があります。
今川氏真も、踊りを楽しんだ1人です。風流踊りの記載は、「松平記」にあります。
1567年(永禄10年)7月、駿河地方に風流踊りがはやり、三浦右衛門佐が氏真にすすめ、翌年7月には、氏真自らほおかぶりをして、大鼓を叩いたとあります。
これは、今川家滅亡の2年前のことになります。
「永禄十年七月、駿河国に風流の跳、はやり、諸人惣踊りをおどる。~中略~
三浦右衛門佐・・・氏真にも勧 ~中略~
永禄十一年六月より踊りまたおこり・・氏真ほおかふりなされ、大鼓を打ち給」

校訂松平記 国立国会図書館デジタルコレクションより(インターネット公開可資料)

今川時代の駿河は、京風の文化を取り込んでいます。京都の風流踊りを記録した言継卿記の山科言継も駿河に滞在しました。

こうした、時代の先端を取り入れる気風が、風流踊りの取り込みにも、つながっているのではないでしょうか。
盆踊りのルーツである、お盆の風流踊りは、京での踊り記録があるものの、他の地域でどのようにはやったのか、明確な記録は多くありません。

その中で、駿河での風流踊りの記録は、この時期、静岡県付近まで踊りがはやってきていたことを示す、重要な内容になっています。

武人としては、評価が今一つの氏真ですが、和歌、連歌、蹴鞠に通じる文化人でもありました。盆踊りも最新の文化として、受け入れたのかもしれません。

今川時代の、駿河の様子は、まだ、十分解明されていません。今川家滅亡後、武田氏の侵行による焼き討ちや、徳川家の支配などがあり、過去の遺構も十分確認されていない状況です。
しかしながら、地名にその手掛かりがありました。

永禄十年の踊りは「八幡村」から踊りはじめ、各村に踊り掛け、侍町、場所は特定できませんが、城下町、城周辺の方まで広がっている様子がうかがえます。
現在「八幡町」は、静岡駅の南側にあります。八幡山を中心とした地域になります。

今川時代の館は、駿府城のエリアと目されていますので、この八幡から、静岡駅北側の駿府城方向に、踊りが広がっていったと大枠では考えてよいのではないでしょうか。

新型コロナウィルスの感染拡大で、各地の盆踊りが中止になった2021年暮れ、私たちは、駿河を訪れ、歴史に思いを馳せました。

  開催情報
日程
場所 静岡県静岡市
アクセス
(公共交通)
静岡駅近く

 
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歴史の中の盆踊り