津和野踊りのいでたちは、その覆面「御高祖頭巾」に白地の浴衣で有名です。
白と黒のシンプルな色合いをベースとしたいでたちは、「山陰の小京都」といわれる津和野の街並に映えて、古風で風雅なおもむきがあります。
かつて女性の扮装は男性と異なるあでやかなものだったようですが、現在は保存会の扮装としては男女とも同じ扮装で踊られているようでした。

概要

 

  男性 女性(昔)
かぶりもの 黒頭巾(御高祖頭巾)
白鉢巻
      折編笠
きもの 白地の浴衣、角帯
黒股引(ももひき)
      太鼓帯
真紅の蹴出し
もちもの(採り物)装   飾 うちわ(頭につける)  
はきもの 白足袋、黒緒の雪駄 白足袋、黒緒の下駄
その他 一般の参加者は自由装、浴衣など

 

被り物-黒頭(御高祖頭巾)、白鉢巻

各地の盆踊りでは、笠やてぬぐいなどさまざまな被り物(かぶりもの)で頭部やを覆う民俗がいまでも残されています。

そうした被り物の中でももっとも特徴的で風雅なものを挙げるとすれば、東の代表は秋田西馬音内盆踊りの「彦三頭巾」、西の代表がここ津和野踊りの「御高祖頭巾」といえるでしょう。

彦三頭巾が少女の覆面であるのに対し、御高祖頭巾は男性の踊り子の扮装(現在は保存会の女性も着用)です。これは金剛(こんこの)城攻略の際の武士の扮装であったという伝承に由来するものです。
黒覆面の「御高祖頭巾」

また「彦三頭巾」が頭にすっぽりと被り、目に穴をあけるいわゆる「黒子」タイプのものであるのに対し、「御高祖頭巾」は顔の上部で目と鼻の部分を三角に開いた比較的オーソドックスな頭巾タイプであり、たしかに中世~近世の武士の風体を彷彿とさせるものがあります。

また、頭巾の上に白鉢巻を廻し後ろで結びます。
鉢巻の正面には、起源伝承にもある亀井家の紋所「四ツ目紋」が入ります。「鷺舞と津和野踊り」の著者矢富厳夫氏は、元来城の乗っ取りのための衣装が素性を知られては困るはずなので、紋付きの装束は不似合いと指摘しながらも、ファッションとして見た場合「まったく気にならない」と感想を述べています。まったく同感です。

かつて女性は折編笠などを被って踊っていたようです。

着物-白浴衣

津和野踊りの衣装のもう一つの大きな特徴が、白い浴衣です。

地面につくほどの長い振り袖を、ゆるやかにひるがえして踊る様は、夢幻的な雰囲気をかもしだします。袖には、やはり四ツ目紋が入っています。袖口には、かわいらしい鈴がついているのが風流です。

浴衣の上から角帯を締め、尻からげをします。
足に穿くのは、黒い股引(ももひき)です。

伝承では、城攻め部隊の武士たちはこの衣装の下に鎧をしのばせて城下に踊り入ったのでした。

矢富厳夫氏は、「こうした黒色づくめの衣装は喪の表象であり…」としています。しかし、かつて近代化以前の日本の民俗ではむしろ喪の色は「白」が基調であったということもあり、武士の習俗も考慮して検討を要すると思われます。ただし、全体に白黒の衣装構成はたしかに葬礼の習俗を想起するものといえます。

袖の長い白浴衣

袖口に小さな鈴

採り物-うちわ

盆踊りにうちわはつきものです。
津和野踊りもやはりうちわを用いますが、特徴的なのは、そのうちわを手に持ったり帯に挟んだりするのではなく、鉢巻で頭の左側につける、という独特の風体を伝えていることです。

うちわの場合、笹状のものを手に持ったり背中に背負うという、中世の霊の依り代の伝統が残ったものと考えられます。頭部の依り代の他の例としては、笠に花をつける「花笠」のような伝統もあります。

頭部にうちわを挿した津和野のいでたちは、こうした依り代の意味合いを強くもつものと思われ、津和野ならではの風雅なスタイルで表現したものといえるでしょう。

四ツ目紋入りのうちわ

履き物-白足袋、雪駄

踊り子の衣装は頭の先から足先まで、白と黒で対比されています。
足まわりも、白い足袋に、黒の鼻緒のついた雪駄履きといういでたちです。

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