お盆のクライマックス・「送り盆」も無事に済み、
朝晩には秋の気配もただよいはじめます。

お盆の疲れを癒やす休日が設けられたりしますが、
行事日程や内容の面でも、地域差が大きくなってきます。

もちろん、盆踊りもまだまだ続きます。

「送り盆」後のお盆

全国ほとんどの地域では、「送り盆」の日程は15日~16日です。灯籠流しや精霊流しなどの送り盆の行事には、”あの世との交流の時間との訣別”という象徴的なメッセージを読み取ることができます。

しかし、クライマックスとしての送り盆が終わった後にも、お盆に関連する日取りや行事はまだいろいろと見られます。もともとお盆は「盆月」といわれるように、一か月にも及ぶ長いまつりの時間を持っていました。こうした「長さ」への対応が、お盆の疲れをとるための休みや、お盆の終わり方の問題ともからんで、クライマックスの後にいろいろな形で出てきます。

送り盆の後に見られる、お盆関係の日取りや行事を見てみましょう。
◆「盆がら」「寝盆」
群馬、栃木、埼玉などで17日を「盆がら」と呼び、仕事を休む日としています。新潟県南蒲原郡では18日を「寝盆」というのも、わかりやすい名称です。盆中の疲れをとって、日常のリズムに戻るための調整期間といったところでしょうか。

◆「二十日盆」(はつかぼん)
奈良県や秋田県などでは、7月20日を「二十日盆」と呼び、やはり仕事を休みます。秋田県平鹿郡では、夜門の外で火を焚いて握り飯や餅を焼き、病気をしないためといって食べる風があります。

◆「添盆」(そえぼん)
奈良県では20日までをお盆の期間と考え、さらにもう一日だけオマケで休もう、ということで21日を「添え盆」とする地域があります。まつりの終わりへの名残り惜しさを感じさせる名前です。

◆「裏盆」(うらぼん)
15日を「表盆」と呼ぶのに対して、16日や20日、24日を「裏盆」と呼ぶ土地もあります。仏教用語の「盂蘭盆」(うらぼん)と音が重なる点も、興味を惹かれるところです。新潟県蒲原郡では24日を裏盆とし、赤飯を炊いて鎮守に参ったり、ススキのお箸で他人の上げた赤飯をはさんで食べたりするそうです。

◆「人形焼き」
青森県三戸郡で、20日の夕方、男女2体のわら人形を、川端などに持ち出して焼く行事があります。女の人形が先に倒れるとその年の収穫がよいといわれ、17日、18日、21日などに行う地域もあります。人形にけがれを乗せて送り出すいわゆる「人形送り」の行事の一種です。

◆「地蔵盆」「観音盆」「大日盆」
送り盆後の興味深い行事が、月遅れの8月24日前後に多く見られる「地蔵盆」です。関西方面ではけっこう盛んな、子どもたちの夏の行事です(項を改めて詳しくレポートします)。

ちなみに、24日は地蔵の縁日ですが、観音さまの縁日の17日を「観音盆」としたり(滋賀県豊郷千樹寺など)、大日如来の縁日の28日を「大日盆」としてまつる(京都・修学院離宮大日踊りは27日)など、さまざまな仏様の縁日にことよせた「お盆」が見られるのも、送り盆の後の時期の特徴です。

京都の地蔵盆
(09.08.24 京都)
盆中の疲れを癒したい。もう少しお盆の余韻を味わいたい。はたまた、消化しきれなかったエネルギーを放出したい。そんな気持ちもあったのではないでしょうか。送り盆で死者や精霊を送り出した後の、自分たち”生者のための時間”という考え方も見え隠れするようです。
お盆と盆踊り

◆「送り盆後」の盆踊り

多くの土地では、送り盆の後も盆踊りが盛んに踊られます。さまざまな「縁日」にこと寄せて踊る郡上踊りの例は前にも紹介しました。徹夜踊りも終わって、しんみりとした秋を感じながら踊るこの時期の盆踊りもまた格別です。お隣の白鳥踊りでは、お堂の中で踊る珍しい「拝殿踊り」が本格的に始まります。

新野盆踊り
踊り神送りが去った後は、もう来年まで踊ってはいけない、というのが新野盆踊りの厳しい決まりごとでした。しかし、実際にはもう一日「裏盆」に盆踊りが踊られています。まだ踊り足りない若者たちの要求にこたえるために、いつの頃からか柔軟な対応がなされたのかもしれません。
東北地方の盆踊り
有名な秋田県の西馬音内盆踊りや毛馬内盆踊りなど、東北地方では送りの行事が終わった17日ころから本格的に盆踊りを始める土地も多く見られます。

農事暦との関係などもあるかもしれませんが、小寺融吉氏は、精霊のための行事が終わった後の、人間のための盆踊りという側面があるのではないか、と指摘しています。

有名な西馬音内盆踊りは
送り盆のあとに始まる
中世の「風流踊り」
盆踊りの黎明期の記録として有名な「大乗院寺社雑事記」では、15世紀の奈良のまちで、当時一大ブームとなった風流踊りに打ち興じる人々の姿がイキイキと描写されています。7月15日前後を中心に、貴族や武士・庶民らが互いに踊りを掛け合いますが、その後も散発的に月末近くまで踊りを掛け合っていたことがわかります。すでに盆踊りはその初期から、精霊供養のための踊りというだけでなく、人間自身の楽しみとしての踊りの側面を持っていたようです。
<参考文献>
藤井正雄「盂蘭盆経」講談社
鈴木棠三「日本年中行事辞典」角川書店
林 英一「地蔵盆」初芝文庫

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