盆踊りは、ムラやマチなどの地域共同体に生まれ、伝承されてきました。いまに伝わる多彩な盆踊り唄も、地域に暮らす人々の耳から耳、口から口へと受け継がれてきたものです。しかし、盆踊りの「伝承構造」は、決して共同体の中に閉じられてはいませんでした。とりわけ盆踊り唄の伝承においては、専業の芸能者など共同体の「外部」との色濃い交流の歴史がありました。

その痕跡を求めて、今回探訪したのが奈良市郊外の田原地区。市街からバスで30分、茶畑が広がるのどかな山里です。カエルの鳴き声を聞きつつ、会場のグラウンドへとあぜ道をたどります。

夜の気配の訪れとともに、絵灯籠に火が入りました。ライターが手渡され、みんなでたくさんの竹筒のキャンドルをともしていきます。小さな炎の祭典、現代の迎え火。やわらかな灯りに誘われて、グラウンドの人の数も増えてきました。

いよいよ踊り櫓の上に音頭取りが登場。今夜の最初の踊りは「祭文(さいもん)おどり」と告げられます。祭文とは、もともと神仏に捧げられた「唱えごと」のこと。江戸時代に歌謡・物語要素を強め、山伏や願人坊主(がんにんぼうず)といった宗教-芸能者たちを担い手に、全国に流通します。長文の物語を語る祭文は、やがて盆踊りのクドキとして利用されるようになりました。

「デロレーン!」と音頭の一声。続いてキン、キンというリズム。音頭取りたちの握る10センチほどの錫杖「金錠」(きんちょう)が鳴ります。口に当てられる小さな法螺貝。これらは、かつて芸能を担った山伏のシンボルです。芸能者たちの手から村人の手へ渡された、伝承のバトンといえるでしょう。

物語は歌となり、歌は踊りを誘います。「ヨイトヨイヤマカ、ドッコイサノセー!」ハヤシことばがグラウンドに飛び交います。お土地柄の「かるかやクドキ」に続いて、大正節、木曽節、吉田踊り。笑いあり、涙あり。バラエティ豊かなクドキに盆踊りもだいぶハズんできました。

「ここらの年寄りは、みんな盆踊りで嫁を取ったモンばかりじゃ」櫓を降りてきた音頭の方が、楽しい昔語りをたくさん聞かせてくれました。さまざまな古いコトバに満たされた、田原の盆踊り。「伝承」のリアルな姿に出会えた、すてきな一夜でした

開催情報
日程 8月14日
場所 奈良県奈良市田原地区
アクセス
(公共交通)
近鉄奈良駅よりバス30分