いよいよ,、ボン・ダンスの会場に足を踏み入れてみましょう。



そこでは、どんな行事が行われているのでしょうか。参加者はどんな人たちで、どんなファッションで踊っているのでしょうか。



■プログラム構成



現在のハワイのボン・ダンスは、単に踊るだけでなく、さまざまなプログラムが並行して行われる場となっています。



踊りの前や後にしっかり盆行事が実修される点は、むしろ日本の「伝承系盆踊り」に近く、行事における宗教的側面の強さを物語っています。一方、近年盛んになってきているタイコなどのさまざまなパフォーマンスは、むしろ現代的なイベントとしての側面を見せているようです。



おもなプログラムを見てみましょう。



●前プロ

日中から夕方にかけて、いくつかのボン・ダンスの会場ではイベントやパフォーマンスが行われます。日系文化にちなんだパフォーマンスが行われることが多いようです。



特に近年人気を集めているのが「和太鼓」のパフォーマンスです。70年代に北米で始まった新しい日系文化で、ボン・ダンスと並ぶ人気の芸能として北米を中心に大きな広がりを見せています。有名和太鼓グループや地元のグループが登場します。日本でいうところの「寄せ太鼓」といったところでしょうか。



●盆行事 service    

寺院が主催する盆(盂蘭盆会)行事です。「日程表」には、サービス service と記されています。



パールシティ本願寺では、踊り会場で櫓の設営などの準備が行われている間、寺院のホールで信徒を対象とした「新盆供養」が行われていました(写真)。「施餓鬼」「墓参り」などの行事を行う寺院もあります。



●説教(説法)

ボン・ダンス開始の直前になると、「開教師」が櫓に登り、会衆を前に説教をおこないます。意外と厳粛に執り行われており、信者や参集者の多くも耳を傾けてるのが印象的でした。



ちなみにパールシティ本願寺で説教を行ったのは白人の(ように見える)開教師で、最後に念仏を唱えて説法を終えると、法服のままボン・ダンスの輪に入っていきました(写真)。



●踊り

いよいよ踊りタイムです。

待ち構えた信徒や民謡グループが輪をつくり、盆踊りが始まります。ハワイにおけるほとんどの盆踊りでは、踊りの開始時間は現在19:00前後に集中しています。



踊りは、CDなどの録音媒体を使った「現代系民謡音頭」と、「福島音頭」「岩国音頭」「八木節」などの伝承系の「ライブ・ミュージック」を、交互に行う構成になっています。「ライブ・ミュージック」はボン・ダンスグループが受け持ち、音頭取りによるナマウタや、太鼓・笛などにあわせて踊るもので、録音再生型の民謡音頭にくらべ大いに盛り上がります。



約40年前の1970年の配布プログラムを見ると、こうしたプログラム構成が当時すでに確立していることがわかります(図表)。





図表 ハワイ真言宗別院の盆踊りプログラム(1970年)



(図表出所)上田喜三郎「ハワイ日系人社会点描・1970年(4)」太平洋学会誌第91号 2002年



●インターミッション

盆踊りの途中に、踊り手の休憩も兼ねてタイコなどのパフォーマンスが行われることもあります。



2008年のパールシティ本願寺では、オキナワ系のタイコのパフォーマンスが華々しく行われ、続いてオキナワ系の伝承・現代音頭をみんなで踊りました(写真)。



かつて日本の盆踊りでも、「盆狂言」等の名でちょっとした幕間の出し物が演じられることがあり、こうした伝統はけっこう古いものです。「ハワイ日本人移民史」所載の古いボン・ダンスの写真にも忠臣蔵らしい格好をした人が写っており、中原ゆかり氏によると、ボン・ダンスのインターミッションの演し物ではないかということです(*1)。



インターミッションをはさんで、再び踊りの時間となります。



だいたい22:00前後、遅くとも23:00にはボン・ダンスは終わります。戦前はもっと遅く、深夜2:00ころまで踊っていたこともあったようです(*2)。



●盆行事(その2)

盆踊りの終了後に、盆行事が行われるところもあります。



代表的なものが「灯籠流し」です。夜の水辺をただよう幻想的なキャンドルの美しさは、民族を超えて愛されており、観光行事となっているところもああります。マウイ島の移民一世を扱ったテレビドラマ「波の盆」(日本テレビ、1983年)では、一世の悲しみの表現としてボン・ダンスとともに灯籠流しが効果的に使われています(*3、*4)。



このように、ハワイの「行事としてのボン・ダンス」は、日本の盆踊りと同様「夜」に行われています。多くの民俗芸能の中でも、盆踊りがかろうじて残している大切な時間文化が、ハワイのボン・ダンスにおいても受け継がれていることはとてもうれしいことです。



■ボン・ダンスの「参加者」



先にハワイのボン・ダンスのエスニックな背景を見ましたが、個々のボン・ダンスの「場」への参加はどのような様子なのでしょうか。



「参加性」の高さ

ハワイのボン・ダンスには、日本の盆踊り同様特別な参加資格・条件はなく、誰もが参加できる場となっています。盆踊りという民俗芸能の重要な特徴である「参加性の高さ」(いい意味での「ユルさ」)は、ハワイのボン・ダンスでもしっかりと受け継がれていました。



マルチエスニック社会であるこのハワイにおいて、ボン・ダンスの「参加性の高さ」という特徴は、ある意味日本本土にはない重要な意味を持っています。ハワイのボン・ダンスは、日系エスニック文化の表明の場であると同時に、他のエスニシティの人たちにも開かれ、日系文化を体験することのできる open な交流の場になっているのです。





見る人、食べる人、踊る人。

それぞれの「参加」の仕方

(08.08.08 オアフ島パールシティ)

 

参加者の「構造」

ボン・ダンスの場にも、核となる中心的参加者と、一般や通りすがりの周辺的参加者がいるなど、参加者の中に一定の「構造」が見られます。ボン・ダンスの場にいる人をおおきく分類すると、次のようになります(もちろんこれは仮設的なもので、実際には類型間の重複が見られます)。



図表 ボン・ダンスの参加者類型
































類型 内容 備考
1.主催者 ボン・ダンスの主催・運営にかかわる人々。 帳場 choba の日系コミュニティの人々や檀家 menberなど。寺院サイドでは「開教師」。
2.出演者 ボン・ダンスの踊り・うた・音楽・パフォーマンスに出演する人々。 もちろん「主催者」も熱心な出演者(踊り手)となる。
踊り手 踊りの輪に入って踊る人々。 ・中心的な顔ぶれは、信徒や各種日系コミュニティの人々。



・「踊り」という点では、稽古などを担当する民謡クラブの師匠・メンバーや、伝承系ボン・ダンスを担当するボン・ダンスクラブ(下欄参照)のメンバーなどがある。ほかに、シーズン中各地のボン・ダンスを踊り歩くコア・ファンもいる。



・一般(周辺的)参加者の属性やエスニシティは多様。近隣の人々などのほか、観光客なども参加する。
囃子方 「伝承系ボン・ダンス」の際に、うたと囃子を担当する人々。 「福島ボン・ダンスクラブ」「岩国音頭愛好会」「エイサー親友会」などボン・ダンスクラブの人々が該当。
パフォーマー 和太鼓などのパフォーマンスに出演する人々。 各パフォーマンス・グループの人々が該当。
3.ギャラリー 踊りの輪には加わらず、会場周辺で楽しむ人々。 出演者たちも、随時休んで、ギャラリーに入り混じる。









■いでたち・ファッション



つぎに、ハワイのボン・ダンスの参加者、特に踊り手の人々のいでたちやファッションを見てみましょう。



ハワイのボン・ダンスには参加に特別な資格がないのと同様、厳密な意味での服装の規定もありません。ただし、浴衣やハッピなどの格好をすることが「推奨」されており、実際そうした姿の人が多数を占めているようです。浴衣を着た金髪の女の子や、ハッピを着たローカルの男の子が踊っているのを見られるのは、まさに"海を渡った盆踊り"の醍醐味です。






バラエティ豊かなハッピのデザイン

(08.08.09 ハワイ島ヒロ郊外)



浴衣

「浴衣」という点では、ボン・ダンスグループや信徒グループなど、様々なグループごとに揃いの浴衣やハッピを誂えて参加している人々も目立ちます。





興味深いのは、まれに「手ぬぐい」をつかった手製の浴衣やハッピを着用した方(おもに年配)が見られることです(写真)。ボン・ダンスでは、主催者がオリジナルの手ぬぐいを準備することが多く、毎年のボン・ダンスに参加した記念として、入手した手ぬぐいを縫い合わせて浴衣をつくることが流行ったようです(*5、*6)。



ボン・ダンスの記憶をつむぐゆかしいアイテムとして、またハワイ独自の「盆踊り文化」として、注目される伝統といえます。



ボン・ダンスの「服装コード」  

このようにハワイのボン・ダンスのいでたちは、よく見るとけっこう多様です。ただ、いわばボン・ダンスの場にふさわしい「服装コード」的なものとして、日本的な格好が意識されているようです。



上田喜三郎氏の調査によると、戦前のボン・ダンス参加者の衣装は浴衣やシャツ、ズボンなど様々で、履物は下駄や草履、裸足などでした。戦後、ボン・ダンス再開後も浴衣やシャツ、ズボン、ムームーなどが入り乱れており、このままでは見苦しいということで、1955年頃から浴衣を着るようにしようという話になったとのことです(*7)。



中牧弘允氏によると、1970年代のハワイのボン・ダンスは「浴衣や法被を着ないと、踊りの輪には入れない」、「そのため『見る者』と『踊る者』とが完全に分離し、渾然一体としたムードはかもしだされない」ものであったと記述しています(*8)が、わたしたちの見た21世紀のボン・ダンスでは、そのあたりは比較的ゆるやかになっているように感じました。




浴衣はエスニシティを越えた人気

(08.08.08 オアフ島パールシティ)



■採りもの・小道具



手ぬぐい

ハワイのボン・ダンスで、日本以上にいきいきと活用される伝統の盆踊りアイテムといえば、「手ぬぐい」です。



手ぬぐいは、もともと日本の伝承系盆踊りでも覆面代わりに使われたりするポピュラーなアイテムでしたが、戦後の現代系盆踊りでは見かける機会もめっきり減っています。



しかし、ここハワイでは、多くの踊り手が首に掛けたり鉢巻にしたりして手ぬぐいを準備しており、「八木節」など何種類かの踊りの際には、手に持って踊ります(写真)。



一種の「参加章」的な側面があり、一般参加の人でも帳場でなにがしかの寸志を払って手に入れることができます。



手ぬぐいは、それぞれのボン・ダンスごとにオリジナルのものがあり、年ごとに新しいデザインのものを日本に発注して準備しているようです。ボン・ダンス参加のよい記念にもなり、日本以上に大切にされているように感じました。






ヒロ東本願寺で購入した「手ぬぐい」。



レイ

一方、ハワイオリジナルの象徴的アイテムといえば、やはりフラでおなじみのレイ lei です。レイには、花や木の葉・木の実、貝殻など様々な種類があります。浴衣や和服の上に、首飾りのレイを掛けたり冠のレイを頭にのせて踊る踊り手が見られるのは、ハワイのボン・ダンスならではといえるでしょう。







可愛らしいレイを頭に被って

(08.08.08 オアフ島パールシティ)



その外、特定の踊り曲では、2つの「小旗」を手にして踊るものもあり、浴衣の帯などに小旗を差して持ってきている人が見られました。かつて戦争前には、日系二世たちが日米両国の国旗を手に踊るといった場面も見られたそうです。





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*1、*2 参考文献2.参照。

*3  参考文献3.参照。

*4  「波の盆」 日本テレビ+テレビマンユニオン提携作品、1983年。監督:実相時昭雄/脚本:倉本聰/音楽:武満徹/主演:笠智衆。1983年文化庁芸術祭り大賞受賞作品。現在ではDVD化されている。

*5  参考文献4.参照。

*6  参考文献2.参照。

*6  参考文献1.参照。

*7  参考文献1.参照。

*8  参考文献3.参照。



≪参考文献≫

1.上田喜三郎「ハワイ日系人社会点描・1970年(4)」太平洋学会誌第91号 2002年

2.中原ゆかり「ハワイ日系人のボン・ダンスの変遷」(水野信男編著「民族音楽学の課題と方法」世界思想社、2002年所収)

3.中牧弘允「新世界の日本宗教」平凡社、1986年

4.Van Zile,Judy. The Japanese Bon Dance in Hawaii.Honolulu:Press Pacifica 1982

5.矢口祐人「ハワイとフラの歴史物語」イカロス出版株式会社、2005年