①では、ハワイのボン・ダンスにどんな「踊り曲」の種類があるのかを見てきました。
次に、個々の「ボン・ダンス」(=開催単位)が、どのような踊り曲の構成からなっているのか」という視点から見てみましょう。

ハワイのボン・ダンスの踊り曲構成には、大きく分けて特徴的な踊り曲構成をもつ「オキナワ系」と、それ以外の一般的な「本土系」という、2つの特徴的なタイプが見られます。

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■「踊り曲」の構成 -本土系とオキナワ系

1.「本土系」の踊り曲構成

ハワイのボン・ダンスのほとんどがこのタイプになりますが、特徴的な「オキナワ系」との対比という意味で「本土系」というネーミングにしました。

図表1 「本土系」の踊り曲構成例


(図表)現地取材結果および参考文献1をもとに作成。

上の図表は、私たちの実際に訪れた現代の3ヶ所のボン・ダンスと、1970年代前後の記録より1ヶ所のボン・ダンスをアドホックに抽出してその踊り曲構成を見たもので、いずれも「本土系」の構成を持っています。

場所も時代も異なる事例ではありますが、それでも「本土系」の踊り曲構成のパターンが見てとれます。たとえば「伝承系踊り曲」では福島音頭・岩国音頭が時代を通じた人気を誇り、一方現代系踊り曲はむしろ多様な姿が見られるようです。

踊り曲構成は、時代を通じて次第に多様性を強める方向で動いてきているようです。戦前には「踊り曲」のバラエティは現在にくらべると少なく、「福島音頭だけで一晩踊っていた」*1というようなこともあったようです。

人気のバロメーター「上演回数」
踊り曲の構成(種類)だけでなく、それぞれの踊り曲が一晩に何回踊られるかという「上演回数」も注目されます。特に人気のある「福島音頭」などの伝承系踊り曲は、いわば特別枠となっていて、前半と後半に1回づつ上演されるというようなパターンになっています。

一方、現代系踊り曲では、同じ踊り曲が数度に分けて繰り返し踊られるケースがしばしば見られます(1晩の開催で1度しか踊られないような踊り曲もあります)。上演回数の多いほど人気の高い曲と考えられることから、回数は「踊り曲」の人気のバロメーターになっているようです。

炭坑節やマツケンサンバなどは、何度も繰り返しかけられ、楽しまれていました。

「本土系」の構成を持つボン・ダンス

(08.08.08 オアフ島パールシティ)

(08.08.09 ハワイ島ヒロ)

2.「オキナワ系」の踊り曲構成

つぎに、「オキナワ系」の踊り曲構成を見てみましょう。

図表2 「オキナワ系」ボン・ダンスの踊り曲構成


(図表)参考文献4をもとに作成。

紹介事例は、オキナワ系日系人のコミュニティとかかわりの深いことで知られる、オアフ島ホノルル・「慈光園本願寺」のボン・ダンスのものです。一見して、「本土系」との大きな違いがわかります。

ちなみに現在ではこのような「オキナワ系」の踊り曲構成をもつ開催単位はここ慈光園本願寺のボン・ダンスのみです。しかし、戦前にはハワイ島「ヒロ本願寺」、オアフ島「マカレー東本願寺」「ホノルル仏教会」「ハワイ仏教会」などが、また戦後は「ホノルル念仏堂」などがあったとのことです*2。

オキナワ系-伝承系踊り曲の”厚み”
オキナワ系と本土系で大きく異なるのは、なんといっても伝承系踊りの多さです。

「本土系」の伝承系踊り曲は3種類程度に限定されているのに対し、「オキナワ系」は厚みのある伝承系盆踊りのレパートリーを誇っています。「伝承系」の中でもコアの部分と比較的新しく入ったものがあり、コアの部分の踊り曲には、現在も沖縄県名護市付近のエイサーで踊られているものと共通するナンバーが見られます。一方、現代系のレパートリーは伝承系のあとから加わったものですが、そのの中にも、特にごく最近入ったものといった区別が存在しているようです*3。

戦前には、白人支配者層と本土出身の日系移民による二重の差別を受ける一方、結束の強さと芸能愛好の強さで知られるオキナワ系のコミュニティ(ならびにエスニシティ)の独自性が、このようなボン・ダンスの踊り曲構成を育んだものと思われます。

オキナワ系の伝承系踊り曲のルーツ
武内直子氏は、こうしたオキナワ系の伝承系踊り曲のルーツを探る貴重な研究成果を発表されています。

現在の沖縄で見られるエイサーのタイプには、踊り手の性別、踊りの様態、伴奏楽器等により、次の4種類が見られます。

図表3 沖縄県の伝承エイサーのタイプ

(図表)参考文献4をもとに作成。

ルーツは沖縄県名護市付近か
武内氏は、慈光園本願寺のボン・ダンスは「男女入り混じって」「輪をつくる」「手踊りを基本とする」等の特徴から、タイプ2のの「本部(もとぶ)、今帰仁(なちじん)、名護(なご)付近のエイサーにもっとも近い」とされています。

さらに、新民謡(現代系踊り曲)を除く伝承系踊り曲についての曲目構成比較を行われた結果、やはり名護、本部半島以北で盛んな「今帰仁ぬ城」「伊計離れ節」「赤山節」を含んでいることから、「この(名護市:引用者注)付近のエイサー(あるいはその母体)が基になった可能性が高い」と結論付けています*4。

ハワイの伝承系踊り曲の移出元地域を実証した、きわめて興味深い研究です。

名護付近のエイサーといえば、私たちが2003年に訪れた「世富慶エイサー」もその代表格として知られています。かつて訪れた沖縄の伝承エイサーと同じ系統のエイサーにハワイで出会うことになったのは、なにか不思議な縁を感じます。

ルーツを共にする2つのエイサー


(08.08.08 オアフ島パールシティ)

(03.08.13 沖縄県名護市世富慶)

変貌する踊り曲構成
このように特色ある「オキナワ系」の踊り曲構成ですが、近年大きな変化を迎えており注目されています。

武内氏の研究によると、従来手踊りを基本とし、浴衣や「かすり」で踊ってきた慈光園本願寺のボン・ダンスに、近年沖縄本土で流行している沖縄市付近の勇壮な太鼓エイサー(図表3の”タイプ3”にあたるもの)の影響が見られるようになったとのことです。

90年代に入り、若いメンバーを多く含むボン・ダンスクラブYoung Okinawanのメンバーが、手踊りの輪の内側で「ウチカケ」「マンザージ」「脚絆」のいでたちで、絞太鼓や大太鼓を打ちながら踊るようになりました。うまく伝統的な踊りに添いながらも、若者の好む勇壮な雰囲気を作り出しているようです。

このような変化は、本土系ボン・ダンスとの間の関係にも及んでいます。
慈光園では踊り曲の構成の中に「本土系」の踊り曲が取り入れられるようになるとともに、一方で本土系のボン・ダンスの開催の際には招聘されて、太鼓踊りやオキナワ系の踊り曲を披露するようになってきています。私たちが訪れたパールシティ本願寺でも、沖縄系のグループがエイサーを披露してくれましたが、メンバーは福島音頭もダイナミックに踊りこなしていたのが印象的でした。

ボン・ダンスの担い手も3世、4世、5世の時代となり、「本土系」「オキナワ系」といった区分も次第に薄れつつあるようです。この先、ハワイのボン・ダンスの踊り曲構成がどんな変化を遂げていくのか、注目されます。

■担い手-「ボン・ダンスクラブ」と「民謡ダンスグループ」

日本の盆踊りでも「保存会」や「民舞連」などの担い手グループが存在するように、ハワイのボン・ダンスにも、踊りの中核的な担い手となるグループがあります。おおまかにいって伝承系踊り曲には「ボン・ダンスクラブ」、現代系踊り曲には「民謡ダンスグループ」が対応しているようです。

ボン・ダンスクラブ
伝承系踊り曲の上演には、「ライブ・ミュージック」を供給する人々の存在が必要となります。

日本語に堪能で、歌も踊りも熟知し、太鼓や笛の経験もある一世中心の時代であれば、こうした音楽はいわば仲間内での「自給」ができました。しかし世代が下って、日系人といえど日本語リテラシーも覚束なくなる中、音頭取りや囃子方・踊り手は意識的に揃える必要があります。このため、現在ではそれぞれの伝承系踊り曲は、一定のメンバーを抱えた「ボン・ダンスクラブ」によって供給・管理される形になっています。

図表4 伝承系踊り曲と代表的なボンダンス・クラブ


こうしたボン・ダンスクラブが形を整えるのは戦後ですが、中原ゆかり氏によると、その原型はすでに戦前の1930年代には姿を現わしていたようです*5。

また、戦前には出身県ごとの対抗意識も強かったようですが、戦後になるとメンバーも必ずしも出身地域やルーツ地域に限定されなくなってきているようです。ただし、オキナワ系では、いぜん沖縄県出身が中心を占めているのは特徴的です。

伝承系踊り曲を支えるボン・ダンスクラブの活躍

ヒロ福島ボン・ダンスクラブ
(08.08.09 ハワイ島ヒロ)

岩国音頭愛好会

( 08.0808 オアフ島アラモアナ)

現代系踊り曲と「民謡ダンスグループ」
一方1960年代以降、日本本土からの「現代系踊り曲」の移入に大きな役割を果たしたのが、「民謡ダンスグループ」です。早い時期に結成されたものとしては、「ハワイ民謡会」(現在は解散)、「ヤマダ・ボン・ダンス・クラブ」(ホノルル:藤間流師匠のMabel Yamada氏をリーダーとする民謡ダンスグループ)などがあります。日本の「民踊民舞連盟」といった組織ともある意味パラレルな存在ではないかと思われます。

こうしたグループが、日本で毎年のように発表される新作の民謡音頭系踊り曲の情報をいち早く把握し、ときには振付けを考案し、さらに本番前の稽古の指導などを通じてその移入・受容に大きな役割を果たしているのです。

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*1  参考文献2.参照。
*2  参考文献4.参照。
*3  参考文献4.参照。
*4  参考文献4.参照。
*5  参考文献2.参照。

≪参考文献≫

1.上田喜三郎「ハワイ日系人社会点描・1970年(4)」太平洋学会誌第91号 2002年
2.中原ゆかり「ハワイ日系人のボン・ダンスの変遷」(水野信男編著「民族音楽学の課題と方法」世界思想社、2002年所収)
3.Van Zile,Judy. The Japanese Bon Dance in Hawaii.Honolulu:Press Pacifica 1982
4.寺内直子「ハワイの沖縄系『盆踊り』」沖縄文化第36巻第1号、2000年