「芸態」の最後に、ハワイのボン・ダンスの言語的要素を見てみましょう。

まずは踊り曲(具体的には盆踊り唄)の「歌詞」です。それぞれの踊り曲は「歌詞」を持っていますが、そのあり方は踊り曲の類型によって異なります。

■伝承系踊り曲-盆踊り唄の歌詞

ボン・ダンスの歌詞は、「伝承系」と「現代系」の踊り曲タイプによって、大きく異なります。

「現代系踊り曲」では、基本的に作曲とともに歌詞も創作され、またレコードなどの録音再生メディアに媒介されるため、ほとんど固定した固有の歌詞になります。特に数の多い「民謡音頭系踊り曲」「現代音頭系踊り曲」の歌詞は、日本とハワイでほとんど変わらないため、ここでは扱いません。

一方「伝承系踊り曲」は”古い歌詞を脈々と伝えている”というイメージが強いのですが、現実には、むしろ現代系踊り曲よりももっと柔軟で複雑な歌詞のスタイルを持っています。

「小唄」と「クドキ」
伝承系踊り曲(本土系)の場合、その歌謡形式はいわゆる”近世盆踊り歌の2大歌謡形式”である小唄形式とクドキ形式に2分されます。

小唄形式 「7775」文字のいわゆる近世小唄様式の詞型の短詩を次々と唄っていきます。分布は、日本全国に及んでいます。
クドキ
形式
クドキ形式では、「7575」や「7777」などの詞型をもつ長大な物語などを唄っていきます。
東日本にも佃島盆踊りなど一部に存在していますが、分布はほとんど天竜川以西の西日本に集中しているという特徴があります。

ハワイの踊り曲の場合、東日本にルーツをもつ「福島音頭」が小唄形式、西日本にルーツをもつ「岩国音頭」がクドキ形式ということになります。現在のハワイを代表する2つの伝承系踊り曲には、近世盆踊り歌の2大歌謡形式が仲良く1つづつ継承されている形です。

伝承系踊り曲の歌詞の内容には、もちろん伝承の古い「うた」も多く残されているわけです。しかし、同時にハワイ・オリジナルでつくられた多くの盆踊り唄も、やはり現代系踊り曲ではなくこの伝承系踊り曲の方に残されてきているのです。

それでは、それぞれの伝承系踊り曲の歌詞の概要と代表的な歌詞を見てみましょう。

1.福島音頭の歌詞(小唄形式)

福島音頭では、「7775」の短詩型のうたが、いくつも伝承されています。短詩なので、個々の歌詞にはとくに標題はありません。

以下の例は、1970年代に唄われていた福島音頭の歌詞集からの抜粋です。ハワイの地名や風物のほかに、ルーツ地域である福島県の地名・風物などが読み込まれているのも、興味深いところです。

(出所)参考文献1

満月のもとで踊る福島音頭
(08.08.08 オアフ島パールシティ)

2.岩国音頭の歌詞(クドキ形式)

長詩型の物語歌をエンエンと唄っていくクドキ。岩国音頭では、当初日本国内の伝承系盆踊りでも定番の「小栗判官」「八百屋お七」といったナンバーが楽しまれていたようです。

岩国音頭の歌詞では、「戦争と盆踊り歌」の関係が興味深いテーマです。
私たちも実際に聞いて驚いたのですが、戦前の日本で作詞された日露戦争を題材とする「肉弾三勇士」や、岩国付近で起きた海軍の事故に取材した「佐久間艇長」などのクドキが、現在の岩國音頭のメインナンバーとなっています。現代日本では、こうした「戦争モノ」の盆踊り歌にお目にかかることはまずないだけに、ハワイのボン・ダンスの特徴がはっきり出ています。

中でも有名なのは、第二次世界大戦中のハワイ2世部隊を題材とした「ああ442部隊」クドキです。ハワイ在住の尾崎無音の作詞で、真珠湾攻撃に始まる戦争と2世部隊の活躍をヴィヴィッドに描くとともに、戦死者の盆の供養のためとして結んでいます。クドキでは、読む詩としての芸術性よりも、聞いてわかりやすいこと、感動しやすい名調子であることなど名曲の条件となります。その意味で、「ああ442部隊」は日本国内の近代のクドキと比べても遜色ない名曲であり、歌詞は涙なくしては読めません。以下には、その抜粋を紹介しました。

岩国市の豊岡安子氏がテイチクでSP録音し、レコードがハワイにもたらされました。その後、「ああ442部隊」岩国音頭のクドキ・レパートリーとして一世を風靡しました。現在では上演機会は少なくなっているようですが、ハワイの盆踊り唄を代表する一曲といえます。


(出所)参考文献1
*「極月」は、12月のこと。日本では真珠湾攻撃は12月8日だが、日付変更線の関係でハワイ(アメリカ)では7日となる。

**「442部隊」は、同じくハワイ二世部隊として知られる第100大隊とともに、第二次大戦時に新設された日系二世部隊。北イタリア戦線では、ドイツ軍の包囲から米国部隊を救出するなど、二世たちの勇猛果敢な戦いぶりで名を馳せた。負傷者・戦死者の多さとともに、「史上もっとも多くの勲章を受けた部隊」としても知られる。日系人の米国社会への忠誠を証明したことで、戦後の日系人の社会的地位向上にきわめて大きな役割を果たした。OBには、上院議員などの著名人も多い。

戦争クドキが今も唄われる岩国音頭
(08.08.08 オアフ島アラモアナ)

3.エイサー系踊り曲の歌詞

「エイサー系踊り曲」における伝承系の曲は、いずれも沖縄語(琉球語)バリバリの歌詞をそのまま沖縄から移入した形となっています。

エイサー系のレパートリーは多いため、どの歌詞を紹介するか迷ってしまいますが、ここでは名護に近い今帰仁をテーマにした「今帰仁ぬ城(なちじんぬぐすく)」を選んでみました。本土の人にはちょっと意味が取りにくいのですが、雰囲気を重視してそのまま掲載しました。

<
(出所)参考文献4

楽しい手踊りのエイサー系踊り曲
(08.08.08 オアフ島パールシティ)

盆踊り歌の将来
ハワイの日系三世以降の世代になり、日系人の日本語リテラシーは急速に低下しているようです。

伝承系の盆踊り歌の歌詞は、現代日本人にとってさえわかりにくいものですが、英語環境に住むハワイ日系人にとっては、きわめて厳しいものとなっているものと思われます。せっかくのライブの音頭でありながら、年配者を除く踊り手のほとんどはその意味がわからずに踊っていることになります(これは日本の伝承系盆踊りでも同じですが)。

「音頭取り」(歌い手)の確保も、難しい状況となっているようです。結果的に、伝承系踊り曲の文化の伝承は、「ボン・ダンスクラブ」の努力に依存するところが大きくなっています。

■囃子詞(ハヤシことば)

盆踊りの芸態の言語的側面には、歌詞以外にも「ハヤシことば」があります。

「歌詞情報」が、文字化されて記録される機会も多いのに比べて、ハヤシことばはあまり体系的に記録・研究されることが少なく、研究者によって”聞き捨てられて”しまうケースも少なくないようです。しかし、まさに踊りの「場」を通じて伝承されてゆく「ハヤシことば」は、典型的な口承伝承として大変興味深い研究対象なのです。

ハワイの伝承系踊り曲におけるハヤシことばでは、やはり福島音頭の「ベッチョ」をとりあげないわけにはいきません。ご存知の方も多いと思われますが、これは福島県を含む東北地方で女性の性器を指す方言です。こうしたハヤシことばがハワイで残ったことは、いろいろな意味で興味深い問題をはらんでいます。

”恋愛文化”としての囃子詞
第一に、かつて盆踊りは男女の出会いの場であり、歌詞や囃子詞もかなり猥褻な(艶笑的な)恋愛歌がきわめて多かった時代がありました。

その後、明治時代の盆踊り弾圧や戦後の近代化を通じて、日本国内ではこうした歌詞や囃子詞のほとんどが盆踊りの場から姿を消してしまいました。そうした文化が移民の手によって移植されることにより、はからずもハワイで原型のまま継承されてきたことになります。

民俗的認知を示す囃子詞
第二に、「福島音頭」と「新潟音頭」(福島音頭によく似ていたとされる)は、ともに「ベッチョ」と呼ばれていました。

あまり品のいい言葉ではないのですが、それゆえに親しみやすい囃子詞が、踊り曲の「曲名」になっていたのです。これは、明治時代の日本人や日系移民が盆踊りをどのように認識していたかという、民俗的な認知の一端を示す貴重な例といえます。

伝播ルートの手掛かりとしての囃子詞
第三に、日本本土における方言の分布を見ると、「ベッチョ」という言葉は福島県の北部から宮城県南部にかけて分布しています。ここは、福島音頭のルーツといわれる「相馬盆踊り」が盛んな相馬市や、ハワイへの移民を多く送り出した伊達郡などの地域とうまく重なる地域です。また、やはり新潟県にも「ベッチョ」という方言が存在するようです。

さらに、新潟県・福島県から北海道への移住者が持ち込んだ盆踊りをルーツに持つといわれるのが、名曲「北海盆歌」です。この北海盆歌も、かつて「ベッチョ節」「ベッチョ踊り」と呼ばれていたことが知られています。

このように見てくると、「ベッチョ」という囃子詞自体が、実証することの難しい踊り曲のルーツや伝播経路をたどる上でたいへん重要な手がかりとなることがわかります。

ハワイの豊かなハヤシことば
わたしたちの訪れたハワイ島・ヒロ東本願寺の福島音頭では、踊り手たちが楽しげに「ベッチョ、ベッチョ!」と声を張り上げて踊っているのが印象的でした。しかしそれだけでなく、福島音頭の輪の中では、実にさまざまなハヤシことばが存在していることを確認することができました。

踊りの輪の中で、思わず吹き出してしまうようなハヤシことばが、いくつも聞こえてきました。明らかに新しいものもあれば、どことなく古そうなものもあります。いったいこれらのハヤシことばは、どういう経緯で、誰が持ち込んだものなのでしょうか…。しかし、完全な説明を求めることに、あまり意味はなさそうです。

ハワイのハヤシことばの民俗は、いまなお「生きた民俗」として変化を続けているのです。

——————————————————————————–

≪参考文献≫
1.上田喜三郎「ハワイ日系人社会点描・1970年(4)」太平洋学会誌第91号 2002年
2.中原ゆかり「ハワイ日系人のボン・ダンスの変遷」(水野信男編著「民族音楽学の課題と方法」世界思想社、2002年所収)
3.Van Zile,Judy. The Japanese Bon Dance in Hawaii.Honolulu:Press Pacifica 1982
4.寺内直子「ハワイの沖縄系『盆踊り』」沖縄文化第36巻第1号、2000年