1.民俗学とは

歴史学では、文献をベースに歴史をひもときます。ただ、特に中世以前、文献に残るのは、支配者層や仏教関係者によるものが主体で、庶民の記録はあまりありません。
また、歴史は、大きなイベントを中心にとらえることになるので、一般の人がどのような気持ちで日々を過ごし、年の行事を行っていたかは、あまりスポットライトを浴びません。

例えば、現代でも政治経済の大きな動きはありますが、私達の生活や、流行りすたり、楽しみや行事などは、それと必ずしも同期していませんし、政治記録から類推もしづらいと思います。

こうした背景から、日本古来の庶民の習俗を、探求するために生まれたのが、民俗学になります。

民俗学のアプローチ

民俗学のアプローチは、多種多様ですが、大きく、以下のものがあげられます。

1.現代に残る地域の伝統的な風習や祭り、モノを、そこに住む人への聞き取り、生活史などから意味づけし、他の地域の同質なものと対比して、大きな枠組みに消化する

2.特に、信仰などを伴い象徴的に意味付けされているものの文脈を類推し、古来にどういう成立したかの仮説をたてる

このような民俗学は、柳田国男が確立に大きく寄与し、折口信夫などが、その影響をうけながら、独自の型を作っていきました。

盆踊りの民俗学的解釈による整理

盆踊りについても、念仏踊り、盂蘭盆会から説明するのが、歴史学的には一般のアプローチになりますが、それではおさまらない以下のような内容あり、民俗学のアプローチが必要になります。

1.お盆に祖霊が戻ってくる

盂蘭盆には、このような考えはなく、日本古来の風習が融合したと考えられます。
柳田国男は、元々、魂をお招きする行事は、先祖祭、魂祭は、正月、盆にあったとしています。(先祖の話)

折口信夫は、盆の祭りは、古代において魂を切替えする時期であり、年の真中にある、魂の蘇生儀礼という考え方をとりました。生きた魂、死んだ魂を区分せず、招き寄せる時期であったと想定しています。(盆踊りの話)

2.盆踊りが男女の出会い、交流の場となった

盂蘭盆や、念仏踊りにこの要素は元々ありません。

柳田国男は、春の山行きの男女出会いの機会が、時期をずらしてお盆時期に移行したと推定しています。(山行きのことども)

折口信夫は、恐ろしい精霊から身を守るため、神聖な場所で雑魚寝などをしていたことから、多数の男女が関係を持つ雑婚の風習が付随したとしています。男女が集い互に歌による求愛、恋愛をする習俗である歌垣が盆踊りの直系とはいわないが、遠縁の関係性ががあるとしました。(盆踊りと祭屋台と)

3.そもそもお盆は仏教行事か?

お盆といは古からあったであり、たまたま、盂蘭盆により後付け的に説明された可能性が示されています。

柳田国男 盂蘭盆が「盆」と省略されたというのは、早計とし、うつわの1つの呼び名である和語「ぼに」があてられたのではないかと推察しています。(先祖の話)

4.お盆と踊りの融合

盂蘭盆会には、踊る風習はありませんでした。それがどうして融合したのでしょうか?

折口信夫は、魂祭りの際に、悪い魂も混じって戻ってくるため、その悪霊を退散させるため、念仏踊りが踊られたと整理しています。お盆の際に、家では魂祭りをし、外では無縁の怨霊を追い払う、こうしたことからお盆と踊りが結びついたと考えました。(盆踊りの話)

こうした民俗学的アプローチは、証明が難しいものになります。しかし、祭りや儀礼は、人類の歴史の長さと同じくらい、民俗的風習の積み重ねがあるはずであり、有史の範囲だけで片付けられないことは確かです。また、この探求は現代の日本人を日本人たらしめる、源流の考察にもつながります。こうした視点も大変重要であると考えます。